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母の死を乗り越えて

長い間ブログを放置したままでごめんなさい。

気持ちが少しずつ楽になってきたので、この事から書いてみようかと思います。

書かずにおこうとも思いましたが、私の記憶の中に留めておきたい・・そう思って・・・。

うまく書けるかどうか自信は無いけど、思ったままを書き留めます。

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昨年の暮れが始まりでした。

「右乳房の腋が腫れてるので診てもらったら、気にするような事でもない」って言われたと母が言った。

「そう、それなら心配無いね。」と何時もの会話だった。

1月末に、やっぱり腫れが引かないからもう一度診てもらったら、

「小さくなっていくと思った腫れが大きくなっているので、大きい病院を紹介するから検査してもらって下さい」との事でした。

2月始めに病院での検査が始まった。

レントゲン、エコー、CT,MRI、血液検査、造影剤検査その他いろいろ・・・。

そして、腫れの中に大きい注射器にような物を差し込んで組織を採取しての検査・・・。

検査は何日も続いた。

検査のたびに母は疲れたと言って帰っては寝込んだ。

豪くても検査して、病名はっきりしておかないといけないからと辛がる母に言った。

そして、検査の結果は出た。


「末期の乳癌」だった。


手術も出来ないほどの大きさと高齢・・・・・・・これがネックになった。


「告知しますか?」と先生に言われたが


84歳と言う高齢になって、終末が癌で・・・・・、あまりにも辛い告知です。

とても言えないと思い

「告知はしない」と先生に言いました。

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私達の一般常識として、

癌になっても、若い人は元気だから進行も早く、年を取った人が癌になっても進行は遅い。

そう、思っていた。

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暫く様子を見る事にしようかと悩んだけど、

癌の進行は思ったより早く、当初診た時はかすかな腫れだったのに

1ヶ月もするとテニスボールのように腫れあがった。

抗がん剤治療を始めよう・・・。

そして、母にも告知しなければならなかった。

母は、薬には詳しくて副作用が出たらきっと飲まなくなってしまうだろう。

そんな事を考えて「検査の結果、小さな癌が見つかって、この薬飲み続けたら治るらしいよ~」って・・。

とても辛い嘘だった。

薬を飲み続けても癌を小さくするだけで癌が治るわけでは無いからだった・・。

抗がん剤治療も始まり、これで安心したと私達も思ったのに、

癌の大きさは小さくなるどころか更に大きくなった。

右腋にドッジボールを抱え込んだ様な大きさになった。

抗がん剤の副作用として、食欲の減退、そして嘔吐そして髪の脱毛などなど・・・。

薬は、4週飲んで2週休む・・・、これが1クールと言う。

1クール飲んで副作用が出ず、薬の効果が無かったのかと思ったが2クール目に症状は出てきた。

食欲も無く、体を動かすことも不可能になり、それまで元気だった母が入院した。

「今日から入院するね」と母に伝えた時

「ほか、良かった」と、とても嬉しそうな笑みを浮かべた。

きっと、回復して良くなるって信じていたのだろう。

その笑顔が今でも思い出されてとても辛い。

入院治療が始まり点滴にて薬を投与するらしいが、

腕からの点滴は血管が細くなるので点滴が入っていかなくなるからと

胸にシャントを作り胸からの点滴が始まった。

「食べたい物があれば何でも食べさせてあげてください」と先生が話したので

喉に詰りそうな物以外は何でも食べさせてやった。

入院しても、癌の大きさは更に大きくなり、はち切れんばかりになって右腕までも腫れ上がった。

長期入院になるかもしれないと、浴衣も7枚用意したけど右腕が腫れて入らなくなった。

看護婦さんに介護用の浴衣がありますので買ってきてくださいと言われたが、

私が作ってやりたい・・・、そう思い3枚家に持ち帰り、浴衣をリフォームした。

浴衣の裾を切り、そして右肩を切って裾の布を縫い付けてもう一方にスナップを付けた。

脱ぎ着も治療も楽なようにした。

母は、その浴衣を見て、

「これ、ええあんばいやなぁ、あんたが作ってくれたんやってなぁ」って、嬉しそうに笑った。

その顔を見て、後ろ向いて声を殺して泣いた。

涙が止まらなくて、廊下に出て泣きじゃくった。

癌は、更に悪化してはち切れんばかりの皮膚が裂け始めた。

皮膚が裂けて癌が飛び出すことを「癌が花開く」と言うのだそうだ。

開く寸前で、後数日で花開いて悪臭もするのだそうだ。

「毎日が山です。今日かも明日かも3ヶ月先かもしれない、会わせたい人が居たら会わせてやって下さい。」

と言われて子供達にも話し、休みの日に見舞いに行った。

子供達を見て喜ぶ母

「皆ええ子やなぁ、昔は喧嘩もしたけど、それもええ思い出や、ええ事ばかり思い出すわ~」

と思い出すように言う母。

そして、「皆、仲良ししてるか?」と子供たちに聞き、

娘が「うんうん、皆仲良ししてるよ。」って母に言うと

「そか、良かった~。100%セント良かったな。」って・・・。

母のその言葉に笑いながら泣いた。

母の前では泣いてはいけないって思っていたのに・・・。

子供達も、私も涙が止めども無く出た。

母も泣いていた。

そして、「はよ帰り、夜も遅いから・・。」

言われるまま私達は帰った。

「今日の母は加減良かったのか元気やったなぁ・・・。」そう言いながら母の話題一杯のまま家に着いた。

あくる日の夜子供と一緒に母の好きそうな物持って行ったら、母の様子が急変してた。

呼吸器を付けて私の声にも反応は無い。

かすかに目の玉が動くだけ・・・。

家族中に連絡して皆が病室に集まった。

ゼーゼーと体全体の呼吸。

看護婦さんに聞いた。

痰が詰っているのでは無いですか?

この呼吸は、どうなっているの?って・・・・。

看護婦さんは、言った。

「この呼吸は、健康な人が息してるような楽な呼吸と違って一生懸命患者さんがしているの。

この呼吸に疲れたらダメになってしまうかも?」って・・・。

そして、「反応無くても最後まで声は聞こえてるから呼びかけてあげてください」って・・。

私達は代わる代わる母に声をかけた。

もしかしたら目を覚ますかもってかすかな期待を持って・・・・。

しかし、呼吸は段々と静かになっていった。

そして、眠るように安らかに母は亡くなった。

亡くなって、いろんな事が走馬灯のように浮かんできて何日も泣き続けた。

叱られたこと一緒に笑ったこと、辛かったこと・・・。

気丈でしっかり者の母はこの世を去っていった。

今は、癌の痛みも無く静かにこの世を見つめているのだろうか?

寂しさと辛さに打ちひしがれていたけど、

こんな風な私を母は望んではいないだろう。

母の分まで、元気でそして強くなろうと思っています。
by myu2002226 | 2009-06-15 22:17 | つぶやき
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